日本史オンライン講義録

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155 日本国憲法の成立

今はどういう状況かと言いますと日本が戦争をして,アメリカを中心とする連合国に敗北し,占領状態に置かれ,主権が回復してない状況です。前回幣原内閣について見ていきましたね。この幣原内閣の時に選挙が行われましたが,自由党が第一党進歩党が第二党とはいうもののいずれの政党も過半数には達していませんでした。ですので,幣原喜重郎を中心とする進歩党は一歩退き,自由党を中心とした政権になり鳩山一郎が首相になる予定ではあったのですが,この鳩山さんが戦争のときに戦争に協力的だったってことから公職追放になってしまい,ナンバー2の吉田茂という人物が成り代わって総理大臣になりました。この吉田茂のときに日本国憲法が制定されたので,今回はそこに注目をしてみていくことにしましょう。

 

第一次吉田茂内閣

なんとこの人は5回も総理大臣になっています。その1回目のときに日本国憲法が成立します。公布は1946年11月3日でして,そこから半年後の1947年5月3日に施行されます。この5月3日というのが憲法記念日ですね。それでは,この新しい憲法の内容についてお話をしていきたいと思います。

 

憲法

当時日本を占領していたGHQの強い意向に沿って,マッカーサーの示した案にかなり従ったものになりました。まず①主権在民ですね。そして,国会は「国権の最高機関」として位置づけられました。国会というのは人々が直接選挙によって選んだ議員によって構成される組織ですね。で,天皇は国民統合の象徴とした象徴天皇制となりました。さらに,②平和主義を掲げ,戦争の放棄戦力の不保持交戦権の否認が盛り込まれました。この内容については,じゃあ自衛隊は戦力じゃないのか?安全保障における自衛隊の動員っていうのは交戦権の否認に当たらないのか?などこの憲法9条に関してはいろんな解釈が今も展開されていますよね。そして,③基本的人権の尊重についても含まれています。以上が新しい憲法の3本柱となります。

 

法律

憲法が決まったらこの憲法に合わせて法律の改正も行われます。新民法から見ていくと,まずは戸主制度ですね。そして男女同権の家族制度に改められました。

次に刑法ですが,大きい変更点としては不敬罪の廃止です。

地方自治法の中では,中央政府から任命されるのではなく首長公選制になります。

警察法は,国家地方警察と自治体警察の二本立てで設置されました。

 

労働法制の整備

幣原内閣のときには,労働組合が制定されました。やっぱり労働者の不満を放置しておくと社会主義革命が起こってしまいます。ですので,GHQとしてはその不満をうまく吸収する仕組みが必要でした。そこで,労働関係調整法労働争議の調整方法を定めました。そして,もう一つが労働基準法ですね。これは労働条件の最低基準を規定しました。例えば8時間労働とかですね。ただ,教員ってのは結構大変でして,8時間できっちり帰宅するって先生はほとんどいないんじゃないかなって感じです。 これら3つを併せて労働三法ともいいます。

 

教育の民主化

これは仕組みをどうするかって内容ではなく,教育方針をどうしていくかっていう内容です。まずは教育基本法が制定されました。これはアメリカ教育使節団の勧告によって制定されたのですが,我が国の教育の基本方針はいったいどんなものがあるのでしょうか。それは例えば教育の機会均等であったり,9年間の義務教育であったりが挙げられます。ちなみ義務教育っていうのは子どもに義務があるのではなく,親に義務があるのですね。後は男女共学ですね。で,9年間って具体的にどんなところで教育を受けさせたらいいのかってことを定めたのが学校教育法です。主なものとしては6・3・3・4制を定めた新学制の発足です。

 

経済の安定

では続いて,経済の世界をみていくことにしましょう。戦後はなかなかお金もない中で,復興のためにも予算を使ったりしなければなりませんので,どんどんお金を発行しますが,それはインフレを招いてしまうのでした。そこで,幣原内閣はお金の発行量を抑えたり,預金を停止したり,価格を統制したりしたのですが,なかなか収まりがつきませんでした。そこで,吉田茂内閣もなんとか経済の安定を図ろうとするのですが,例えば,産業の中でも石炭や鉄鉱など重要産業部門においては傾斜生産方式を導入しました。つまり,優先的に資金を投入して生産を促進していこうとしたのですね。そして,これを受ける形で復興金融金庫を設置して,基幹産業への資金供給を開始しました。お金を借りるってことは別に悪いことではなく,まずは血液を体中に巡らせてしっかり活動できる体力をつけた上で,利益がでれば返済すればいいだけの話ですので,そんな基幹産業に対してお金を貸し付けたのが復興金融金庫となります。しかし,資金を供給したからといってすぐにインフレや低賃金の問題は解決しません。だって基幹産業に従事する人たちはお給料も上がるかもしれませんが,公務員の人たちはなかなかお給料はあがってきません。それならオレたちは仕事やんないよ!なんで基幹産業だけなんだよ!っていう流れが巻き起こり,1947年に2・1ゼネストが起こります。いろんな産業にまたがってのストライキが計画されたのですが,それはやってくれるなってことでGHQの指示の下中止となりました。

 

さて,もう一つは幣原内閣からの宿題となっていた農地改革です。第一次農地改革は,日本におまかせってなるとなかなか改革できなかったので,吉田茂内閣のときの第二次農地改革においては,自作農創設特別措置法を制定しました。これは,GHQの強い指示によって,その村にいないのに遠くの小作農に土地を貸して,そのレンタル料だけで生計を立てている不在地主はもう認めないって内容です。在村地主っていうのは1町歩までにしました。1町歩っていうのはいまの東京ドームの4分の1くらいの広さですね。それくらいまでだったら地主ー小作の関係があってもOKとしました。もし制限を超える農地があった場合には,国が買い上げてそれ以外の小作人に安く売却しました。そうするとだいたい80%の農民が自作農になっていったのでこれは一定の成果を収めたことになります。この農地の買い上げと売却を進めたのが農地委員会です。

 

ここまでが吉田茂内閣のあらましです。そして,新憲法のもと,はじめて選挙が行われるのですが,第1党になったのが社会党でして,この政党の党首であった片山哲が次の内閣総理大臣を担当することになります。

 

片山哲内閣

「東で吉田あし吉田」の片山哲内閣をみていきましょう。やったことは,幣原内閣から着手された財閥解体をさらに進めていくことになります。財閥の存在が軍国主義を推し進めたってことでしたので,独占的な企業が出現するのを防ぐために公正取引委員会が設置されました。独占的になっていないか監視をする役割を果たしています。そして,過度経済力集中排除法も制定します。ただこの片山哲内閣は連立内閣でして,特定の政党の主張だけを取り上げてしまうとあっちが立たずこっちが立たずということにもなりかねない状態でしたので,内閣としては短命で終わってしまいます。

 

次の内閣は「東で吉田片あし吉田」の芦田均内閣です。政党は民主党(旧進歩党)ですが,これも連立内閣で少し足元が弱めということになります。さて,この芦田均内閣ですが,GHQの指示のもといろんな法律をどんどん灯していって,日本の民主化という面では仕事は確かにするのですが,教科書的な項目はあまりないのが特徴です。あえていうならば,昭和電工疑獄事件ですね。昭和電工っての化学肥料の会社なんですが,さっき吉田内閣のところでもあった復興金融金庫からお金を引き出したいから,賄賂をおくってお金をくださいよってことで政治家やGHQなどを巻き込んで昭和電工にお金が還流するように賄賂をばらまきました。なんと60人くらいの政治家を巻き込んだ一大贈収賄事件でしたので,その煽りをうけて芦田均内閣は退陣します。

 

そんな2つの短命内閣のあと,再び吉田茂内閣が登場して,いよいよ日本の復興が本格的になっていきます。