日本史オンライン講義録

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017 文武天皇の時代・大宝律令①

では今回は文武天皇の時代をお話していきたいと思います。まず、文武天皇というのは、あの天武天皇持統天皇の孫にあたる天皇になります。文武天皇のときに何があったかというと、もうたった一つしかないんですよね。それは、あの中学校でも習った大宝律令が成立したのが文武天皇の時代です。

 

文武天皇の時代

文武天皇のときに大宝律令が制定ですね。大宝律令文武天皇が一生懸命作成したのかというとそうではなく、正確には作成させたというのが正しいでしょう。誰に作成させたのかというと、刑部(おさかべ)親王です。そして、もうひとりは藤原不比等です。

 

で、この大宝律令の「律令」というコトバなのですが、律令制度、律令国家ということで、律令というワードはよく耳にすると思うのですが、今までの授業を振り返ってみると、近江令とか飛鳥浄御原令など、「令」のみは登場しましたが、今回は「律」と「令」が揃った初めての法典といえます。これから先、大宝律令の中身について勉強していくことになります。ということで、これからしばらく平安時代が終わるまでは律令の下に国のしくみで日本は動いていきます。ですので、高校生なんかは大宝律令を勉強しているときにちょっと面倒くさいと感じ、モヤモヤしながら日本史を勉強していくことになるのですが、ちょっとこの大宝律令の中身にお付き合いください。

 

大宝律令

それでは、大宝律令いきましょう。さきほども申しましたように、日本初の律令であるということです。今までは「令」はありましたが、「律」と「令」がセットになったのは今回が初めてです。では、律とか令ってどういう意味なのでしょうか?たとえばピアノの調律の「律」、規律の「律」と同じで、『正しくする』という意味があります。盗みを働いたものを正しくする、人殺しを犯した者を正しくする、つまり悪いことをした者を正しくするということから、現在の刑法に当たるものが「律」ですね。それじゃ、「令」っていうのは何でしょうか?簡単なのは、命令の「令」、号令の「令」、指令の「令」と同じで、『こうしなさい!』たとえば、国のあり方をこうしなさい!政治はこのように行いなさい!税の徴収はこのような方法で行いなさい!、つまり国をこのように運営しなさいという意味で、現在ではこれを行政法といいます。

 

じゃぁ、主にこの「令」の中にはどのようなことが描かれているのかというと、行政法ですので、中央の行政組織である公務員の組織についてです。これを「二官八省一台五衛府(にかんはっしょういちだいごえふ)」といいます。

 

二官

この二官というのは何と何を指すのでしょうか。神々の祭を司る部署を神祇官(じんぎかん)といいます。そして、政治を行う太政官(だいじょうかん)です。この太政官の中にはどういう人達で構成されているのかというと、太政大臣左大臣・右大臣です。ちなみに太政大臣は常に置かれるわけではなく、必要に応じて置かれる臨時職です。一方で左大臣・右大臣は常に置かれる常置職です。これらに大納言を加えて公卿(くぎょう)といいます。

 

八省

そして、この太政官の下に置かれるのが、太政官のもとで政務を分担する各省庁のことです。今で言う文部科学省であるとか、財務省であるとか、防衛省などのような省庁にあたるものですね。この八省を動かすのが、太政大臣左大臣右大臣そして大納言ですね。この人達のことをまとめて公卿(くぎょう)といって、貴族の最高幹部が各省庁に命令を行き渡らせて国を動かしていったのでした。これら公卿の下には左右の弁官少納言が置かれるのですが、左弁官の下に置かれるのが次の通りです。

  • 中務省・・・天皇の国事(政治全般におけるトップとしての役割を担う)
  • 式部省・・・官吏の養成など教育をつかさどる
  • 治部省・・・外交や仏教など幅広い任務を担当
  • 民部省・・・徴税などの民生業務を担当

そして、右弁官の下に置かれるのが次の通りです。

これら8つをまとめて八省といいます。

 

一台

一台は、弾正台(だんじょうだい)というお役所で、官吏(国家公務員)らが悪いことをしていないか、ちゃんと働いているか、ワイロを受け取っていないかなどを監察し取り締まっています。並びとしては二官と同じレベルです。

 

五衛府

五衛府は、都の治安を守る役所です。なぜ五衛府というのかというと、5つの組織があったからで、まずは衛門府(えもんふ)、そして左右の兵衛府(ひょうえふ)、最後に左右の衛士府(えじふ)というようにこれで五衛府といいます。

 

以上、中央の公務員の組織は、二官八省一台五衛府といいます。

 

中央の組織の話をしましたので、次は地方の組織についての話をしようと思います。

 

地方組織

たとえば今の都道府県はいくつかのまとまりとしてとらえて、近畿地方や関東地方などのように全国をブロックに分けていますね。それと同じで、この当時は大きな行政区分のことを「畿内七道」といわれました。

 

畿内七道

まずは畿内ですが、大和・山城・摂津・和泉・河内の5つを総称した呼び方です。あとの地区は日本全体を大きくわけて、西から西海道南海道山陽道山陰道東海道東山道の7つを七道といいます。

 

畿内は七道の一つを除いて、すべて一部に面しているのですが、唯一西海道だけは畿内に面していません。そこで、朝廷の命令を行き渡らせるために、特別に太宰府を設けました。遠の朝廷(とうのみかど)とも言います。

 

さて、この畿内七道の中に、摂津国とか越前国とか、尾張国下総国筑前国筑後国とかいったようにたくさんの国があるわけですね。自分の出身の近辺の国くらいは想起できると思うのですが、下総国とか上野国とか下野国とかパッと思い浮かびますか?出身以外の国の名前と場所もよく知っておくべきだと思います。これから先、摂津国では〜、尾張国では〜、下野国では〜、といったようにわりと当たり前のように授業では話をしていきますので、その都度これから覚えておくようにしましょう。そんな諸国の行政区分のお話をしたいと思います。

 

諸国の行政区分

諸国の行政区分は、「国・郡・里」の三段階で区分されていきました。

  • ・・・国司を任命し国府を拠点に統治
  • ・・・郡司を任命し統治
  • ・・・里長(さとおさ)を任命し統治

これが諸国の行政区分です。

 

重要な地方の組織

  • ・・・都を治めるために左右の京職が置かれました。
  • 難波・・・ここは大阪湾沿岸で外国人のやってくる玄関窓口でもあるので、重要な地方の一つであり、ここには摂津職(せっつしき)がおかれました。
  • 九州・・・大宰府がおかれ西海道を治めさせました。いまの太宰府市は「太」です。

ということで、今回はまず文武天皇のときに我が国初の律令が揃った大宝律令が制定されたことを学びました。そして、その大宝律令とは今で言う「刑法」と「行政法」があり、「行政法」の詳しい内容について、中央の役人のしくみ、地方の役人のしくみについて説明をしました。次回もまだまだ大宝律令は続くのですが、ちょっと我慢をして進めていきましょう。今回は以上です。