日本史オンライン講義録

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161 安保改定と安保闘争

続いて、石橋湛山内閣、岸信介内閣を見ていきましょう。

55年体制が始まり、ここからは自民党政権が続いていきます。
石橋湛山内閣は、石橋首相の病により短命に終わったため、ここでは岸信介内閣を中心に確認しましょう。

 

岸内閣は、日米新時代、つまりアメリカとの関係性を更新し、対等な国家となる事を目指しました。そこで、主にアメリカの権利ばかりが定められ、一方的な内容であった日米安保条約の改正に乗り出します。その結果、1960年に結ばれたのが、日米相互協力及び安全保障条約、いわゆる新安保条約でした。

 

しかし、ここに至るまでには、主に革新勢力からの猛反発がありました。
彼らとしては、そもそもアメリカ軍の駐留を許す安保条約は解消されるべきであって、それを改定し発展させるなどとんでもないと考えるわけです。これは、各地での改定阻止闘争へと発展しました。

 

結局、新安保条約は参議院の承認を得られないまま自然成立という道をたどります。
こうした事態は異例中の異例であり、それだけ、反発が大きかったことを物語っています。

 

また、1960年、福岡で三井三池炭鉱争議が起きます。
これは、燃料の主力が石炭から石油へと転換していく中、炭鉱を閉じることになったのに対し、労働者が大規模なストライキを起こしたものです。しかし、大きな騒動に発展したものの、最終的には労働者の言い分は聞き入れられず、ストライキは終了することになります。


安保改正の阻止闘争で敗れ、大規模ストライキでも敗れるという、いわゆる革新勢力にとって失意の時代だったといえるでしょう。