日本史オンライン講義録

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009 古墳時代の生活と信仰

古墳時代前期・中期・後期、そして周辺諸国について見てきましたので、今回は全体を通した人々の生活 ・信仰についてみていくことにします。

 

古墳時代の人々の生活

住まい

弥生時代よりもさらに豪族と民衆といった身分の分化が進みます。富を持つ者、持たざる者の格差が拡大するということですね。住居をみてみると、豪族は周りに溝を巡らせた環濠や柵の内側に居館(きょかん)いわゆるお屋敷を構えるようになりました。その一方で民衆たちはというと、竪穴住居や高床倉庫など、弥生時代とあまり変わらない生活をしていました。家一軒一軒に環濠とか柵といった防御施設を巡らせているわけではありません。そして、5世紀頃から竪穴住居にカマドが作られるようになっていきます。これが古墳時代に人々の住まいです。

 

道具

つづいて道具をみていきましょう。まずは土器です。土器は古墳時代は、おもに2種類の土器が使われるように成り、土師器須恵器と呼ばれるようになりました。土師器とは、弥生土器のような赤焼き低温で焼かれて、もろい土器です。そして、須恵器朝鮮半島から技術が伝わったもので、土師器と比較すると、硬くて灰色高温で焼かれています。この土師器や須恵器ですが、福岡県に須恵町という地名の町があり、その町の山の向こう側には土師町という地名があります。おそらく弥生土器を由来としている地名なのでしょう。

 

そして、衣服ですね。男性は乗馬ズボン風の袴(はかま)です。女性はスカート風の裳(も)です。なぜこういうことが分かるのかと言うと、古墳に収められている形象埴輪が男性は乗馬ズボンを、女性はスカート風の衣装を着ているからなんです。

 

信仰

では次に古墳時代の人々の信仰についてです。ここはわりとテストにも出やすいジャンルです。まず、農耕儀礼ですが、春に豊作を祈願して行われるのが祈年祭(としごいのまつり)、そして、秋に収穫を感謝して行われるのが新嘗祭(にいなめのまつり)といいます。新嘗祭は、現代の勤労感謝の日のルーツといわれています。さて、神に対する信仰には3つのタイプがあります。その1は「氏神信仰」といって、その家系の先祖を神としてまつる性格のものです。その2は、自然を神としてまつる性格のものです。例えば、奈良県三輪山を山の神様として祀っているのが大神(おおみわ)神社ですね。また、福岡県の沖の島を海の神様として祀っているのが宗像(むなかた)大社沖津宮です。こういった自然を神として祀っています。そして、その3は古くからの言い伝えや伝説の神をまつる性格のものです。例えば、三重県伊勢神宮にまつられている天照大神アマテラスオオミカミです。氏神ともいえるのですが、天皇家氏神それが天照大神です。ほかにも島根県出雲大社には大国主命オオクニヌシノミコト)が祀られています。この大国主命は、さきほどの天照大神に出雲地方を譲ったなどのエピソードがあります。出雲大社は大社の名前にふさわしいほど広大な敷地面積を誇っているのですが、昔はもっと広かったといわれています。そんなかつての出雲大社を象った模型などが出雲国資料館に展示されています。また、大国主命はたくさんの奥さん、たくさんの子どもを持っていたことで知られていて、縁結びの神さまとしても有名です。他にも大阪府住吉神社ですね。住吉神社は海にまつわるさまざまな伝説があるのですが、そんな言い伝えのある神社です。

 

呪術的風習

これらの神々がまつられて今私達がするところの神社が建てられているわけなのですが、民間のレベルではどういった風習があったのかというと、けがれをはらい災いを免れるための禊(みそぎ)とか祓(はらえ)などがあります。あるいは、太占(ふとまに)の法といって、シカなどの動物の骨を焼いて、その割れ方で吉凶を占うものです。他にも、盟神探湯(くかたち)といって、熱湯に手を入れさせて手がただれるかどうかでその主張がウソかマコトかを判断するものです。ひとつの裁判の方法だと思ってもらえればよいかと思います。