日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

010 ヤマト政権と政治制度

これまでヤマト政権の時代が古墳時代だということを言ってきましたが、最後にヤマト政権とは一体何なのか?について見ていきたいと思います。

 

ヤマト政権の支配体制の確立

まずは、ヤマト政権っていうのはどのような支配領域をもっているのでしょうか。いつものように、日本には文字の史料が少ないため、中国王朝の歴史書に日本のことがちょい役として掲載されているので、そこから探ることにします。

宋書倭国伝にて

ヤマト政権の様子がわかる最重要史料として宋書倭国があります。まずどういうことが書かれているのかというと、「の五王が中国の南朝にたびたび朝貢して、倭王として認められた。そして、倭王の王権が拡大し、地方豪族たちを服従させた」とあります。とりわけ朝鮮半島で立場を有利にするため、「」王が中国王朝に使者を送ったのでした。なぜ朝鮮半島なのかというと、この朝鮮半島には当時日本で獲得できなかった鉄資源がいっぱいあって、鉄資源を確保するためです。以上が「宋書倭国伝から知られる日本の様子ですが、日本においてもそろそろ文字史料がちょこちょこと出てくるようになります。

日本での文字資料

埼玉県稲荷山古墳で出土された鉄剣の銘文に刻まれてある文字あるいは、熊本県江田船山古墳出土の鉄刀の銘文に刻まれてある文字をよく見てみると「獲加多支鹵(わかたける」と刻まれていて、この獲加多支鹵は雄略天皇ではないかと言われています。つまり、埼玉県でも熊本県でも獲加多支鹵とかいてある遺跡が見つかっていることから、おそらくヤマト政権が関東地方から九州北部までを支配していたのではないかとみられています。これによってヤマト政権は日本のかなりの範囲を支配領域に入れたのではないかといえます。

 

氏姓制度

それでは、このヤマト政権がどのように支配政治をしていったのか見ていくことにしましょう。ヤマト政権の統治のしくみにとして氏姓(しせい)制度というものがあります。ヤマト政権もこのように関東から九州の広範囲に広まったということは、それなりにたくさんの豪族たちを支配下に置いて家来がたくさんいたことでしょう。これらの豪族には名前をそれぞれもっていて、しかし。ただ下の名前だけなので統制するにもしにくいわけです。

第1段階

そこで、俺達も家来が増えたからここで整理をしようや!ということで、第1段階では血縁関係ごとにグループを組ませました。そしてグループごとに「氏(うじ)」を与えたのでした。たとえば「蘇我」という氏があたえられたり、「物部」という氏があたえられたり、「大伴」という氏が与えられました。また、地方の豪族グループには「筑紫」という氏が与えられました。

第2段階

次の第2段階では、姓(かばね)といってその豪族グループに称号が与えられたのです。たとえば蘇我氏には臣(おみ)という姓が、物部氏や大伴氏には連(むらじ)という性が与えられました。そして、臣といったら有力豪族に与えられる称号であり、むらじといったら軍事・財政・モノづくりなどの専門的職務をもつ豪族に与えられた称号なのです。他にも有力な地方豪族には君(きみ)が与えられ、一般豪族には直(あたえ)の称号が与えられました。以上が第2段階です。

第3段階

第3段階では、具体的な仕事が与えられていきます。たとえば、大臣・大連といわれた役職は大王を助けて、政治の中枢にいる豪族に与えられる仕事です。たとえば、蘇我氏には大臣(おおおみ)の職務を、また物部氏には大連(おおむらじ)の職務を与えてました。ほかにもたとえば大伴氏には伴造(とものみやつこ)といって軍事や財政・祭祀・外交文書・モノづくりを担当する役職が与えられました。そして、伴造の配下には、事務を行う官人集団の伴(とも)や、実際の業務を行う品部(しなべ)を従えて任務をこなしました。では、地方をみていきましょう。地方では国造(くにのみやつこ)といって地方豪族にその地方支配をさせる仕事を与えました。ここではたとえば、地方豪族である筑紫氏に国造の役職を任命したのでした。

 

こうして三段階で豪族をグループ化してコントロールしやすいようにしました。

 

財政基盤

そしたら、ヤマト政権を支える財政基盤(土地・支配した民衆など)について最後にみていきましょう。さきほどの蘇我氏物部氏・大伴氏などは一体どこから収入を得ているのでしょうか?それは、それぞれに領有している土地であったり、人民であったりがあるのです。たとえば、大王が直接領有している土地のことは屯倉(みやけ)といい、大王の領有している私有民のことは名代・子代(なしろ・こしろ)といいます。そして、豪族の領有している土地のことを田荘(たどころ)といい、豪族の領有している人民のことを部曲(かきべ)といいます。そして、部曲の配下には隷属民としてヤツコが置かれました。これで、だいたいヤマト政権のしくみがみえてきたと思います。